Lovely Vivian

Asian Top Star Vivian Hsu


トップスターへの階段---その2---


笑林小子でスクリーンデビューしたビビアンは、同じ監督のChu Yin-Pingの

元、1994年11月に「終極猟殺」(Zhong Ji Lie Sha)(Hunting List)

に出演します。ここで、ラブシーンを演じたビビアンは映画作家Fu Lee

の目に止まります。このあたりからビビアンの回りがあわただしく動いて

いくことになります。彼女はこの映画の撮影終了後、1冊の写真集を出す

ことになるのですが、この写真集こそがビビアンのその後の人生を大きく

変えたと言っても過言ではないでしょう。「天使心」と言う名前で発売

された写真集に台湾はおろかアジア、いや欧米のマスコミでさえも注目

をしました。「少女隊」というアイドル出身の彼女がなんとフルヌード

写真集を出したのです。台湾では女性がお酒を飲んだり、ヌードを人前

にさらす様なことはとても好まれないといった状況の中ビビアンは自分の

意志で女優への道をあっと驚く手段で切り開いていったのです。20前の

綺麗な肌のヌードはもちろん日本のマスコミの目にも止まりました。

1995年1月ついにビビアンスーが日本のメディアへ登場する事に

なります。台湾で大ヒットした写真集「天使心」の日本版「Angel」の発売

それと共に、日本の若者向けアイドル雑誌「BOMB」への登場とまさにこの

年はビビアンブームとなり、あちこちの雑誌、テレビ等で引っ張りだこに

なったのは皆さんも周知の通りです。そんな合間にも彼女は台湾、香港で

映画を撮り続けました。1995年5月には写真集のタイトルそのままの

アダルト向け映画「赤裸天使」(Angel Heart)でついに主演作品を掴むと

11月には、香港で「魔鬼天使」(Devil Angel)に助演出演を果たします

その間日本では若者達のアイドルとして活躍し続け、95年10月には

テレビアニメ「バーチャファイター」のエンディングテーマになった曲

「くちびるの神話」をリリースと正にアジア3カ国を股に掛けた活躍で

一躍スターダムへとかけ登って行きました。日本のアイドル同様、睡眠

時間を犠牲にしてビビアンは走り続けました。アジアでトップに成る夢、

家族といつまでも一緒に住める家を持つ夢、とビビアンにはいつも自分を

ささえる大きなもの、そして信念があったからこそ頑張ってこれたのだと

私は痛感いたします。


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